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ピアノ

母親は娘に
「ほら、早くピアノの練習しなさい。」
「・・・いまする。」
それを聞いて・・
「いまするっていつになったらやるの!早くしなさい!」
「ちょっと待って・・」
「今すぐしなさい!こっちもコンクールに出れない子どもを送り迎えするほど暇じゃないんだからね!」
「・・・」
「わかった。じゃあもう、やめよっか。練習しないならピアノ捨てようね。」
「練習・・・するから・・・」
「じゃあ早く椅子に座りなさい!ほら!」
「・・・」
「もうパパに電話します。」
「ちょっと、待って。」
娘に背を向けて母
「もしもし?パパ?あの・・・」
「するって!する!」
よく見ると携帯画面、待受のまま。でも娘は気付かず。
パパが怖いのか、娘は必死で携帯を取ろうとする!
「やめてよ!」
母、怒鳴る。怒鳴って・・・殴る。
合計三発くらい。頭を。ごんって音がするくらい強く。
娘「・・・。」
母、電話を切る(振り

・・・。

・こういうのフィクションだと思ってました。

・ドラマとか、多分もう今更だし、逆にベタかな、ってくらい。

・現実の痛みというものは思いのほか大きい。

・理想と現実の差に、現代人は翻弄されてるよね、間違いなく。

こういう話って記事にしようか迷うけどショックがでかかったので記事にしました。

(続き)
良い人ぶってるわけじゃなく、本当に。そんときは本当に。
その子を救いたいって思った。
救いたいって言うとあれか、助けたい、その状況から離してやりたい、とか。
でも、勇気がないし、おそらくどうにもできないから
じろじろ見るくらいしかできなくて、
ちらちら視線を送るくらいしかできなくて、
でも、本気で救いたいと思った、本当に。
勝手な生き物です。
目の前の人がどれだけ痛かろうが知らんこっちゃないし、自分は微塵も痛くないというのは事実。
それでもそれでもそれでも
救いたいって思った。なんとか助けられないかと思いを巡らせた。
結果、良い方法は見つからず、勇気もなく、何もできなかったけれど。

気持ちなんて嘘くさくて、「気持ちはあった」なんて言われても被害者からしたら
「じゃあなんで助けてくれなかったのよ?」って言われるのがオチ。
「助けたかったんだけどさ、見殺しにしちゃった」
「ありがとう、気持ちだけで十分だよ」なんて誰か言うでしょうか?
結果と気持ちどっちが大事かって話で、気持ちが大事っていう人、たまにいるけど
僕はたぶん結果の方が微妙に大事だと思います。
気持ちの方が大事ってことはたぶんなかなかないです。
たまーにそういうケースもある、くらいです。

“それでも”という表現が僕は好きです。
にんげんらしさが表れていると思うからです。
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都会とは匿名の世界である。
名前を付けずに、時間を過ごしていく。

名前を付けないということは、存在が曖昧であるということだ。
もっと言えば、境界をもたない、区別のつかない。
ぼんやりとした全体像の一部であるということだ。

0からスタートできるということがメリットである。
ある人にとって都会の多くは0のままである。
さらに都会の0はよく更新される。
リセットとも言い換えられる。

そのなかで、1をつくること。
何かを0から1にすること。
1を1のままで保つこと。

そのことでみんな頭を悩ませている。

やっぱり人は人が好きなのか。

それはともかくとして、

人は名前を付けたがる。

ことばのはし

現代人にありがちな傾向。

たとえばさ、

「うちの子、アトピーなんですけど、食べ物って結構関係ありますよ。小麦とか卵とか、うちの子で実験した結果、悪化するっぽいですし・・・」

をきいて

「実験とか、子どものことなんだと思ってるんですか?」

とかいうやつ。

「ばからし、そんなやついねーだろ」ってんならまあ問題はないんだけど、
現状、こういう人間がいっぱいいる気がするんですよね。

ことばというのは、それ自体に意味があるんではなく、それに込められた気持ちに意味があると思います。
だから、ことばのはしを一つ取って、あーだこーだ文句言うのは、すごく良くないと思う。
頭わるいもしくは、性格わるいんじゃないの?って思う。

上の例でいえば、「実験」ってさ。
子どもを、人間ではないもの、もの、的に考えてるんじゃないの?
ってあたま悪いBさんは主張したいんだろうけど

子どものこと想ってない親が、そんなわざわざ食べ物アレルギーのチェックを自力でしようとか思いませんて。
子どものこと想えなきゃそんなめんどくさいことできませんて。
まあ、ここでの親が医者とか生物学者とかいうんなら話は別かもしれないですが、
そんなこと言っちゃったら、上の頭悪い人とおんなじだよね。

「医者だったらそう思うかもしれないですよ」

とか、そうかもしれませんけど、俺のメッセージをてんで理解できてない。
ことばの間に(不可抗力で)生まれる隙をつまんで、つっつくだけ。
何がしたいんだか・・・。
ことばの使い方、まちがってると思う。

そりゃあ、詩とか、小説だったら、言葉の端にこだわってもいいと思うんですよ。
ここの表現はあーだこーだ、考えたり話し合ったり・・・。
なぜなら、作家はそれを望んでるからです。
言葉の端にこだわって、表現して、それをどう解釈されるかを待ってる。
だから、言葉の端に深く深く突っ込んでいってもいいと思うんです。

でも、日常会話とかの「メッセージを伝える」「気持ちを伝える」がメインの場面でさ、
言葉の端をとって、文句言うのは間違ってるでしょう。

メッセージや気持ちに文句があるなら、主張すればいい。
でも、言葉の端一つにこだわっていちゃもんつけるのは、すごく良くないと思います。

相手はそんなこと見当もつけていなければ、ましてや望んでもないし、不快な気持ちになります。

普段、会話をするうえでの言葉や、スピーチをするうえでの言葉は
メッセージを伝えるためにあると思います。
気持ちを伝えるためにあると思います。
ことばひとつひとつの意味は、厳密じゃありません。熟考されてはいません、きっと。

言葉の端を取って、いがみ合うのやめよう?
って思う。

神様の話つづき

なんで、神様とか言うの?って思うかもしれない。

それは、

だってさ、なんで生きてるかとかわかんねーじゃん。
そもそもなんで世界があるのかとか宇宙があるのかとか
時間と空間が無限に広がっていくのかとかわかんないじゃん。
それがわかるのって、うちらより一つうえの次元に住んでる存在でしょ。
一つうえの概念を理解できるやつらでしょ。


だったら、それが神様だったらおもしれーじゃん、とかイメージしやすいじゃんとかそういう話。

っていうのもね。

俺らには少なくとも、良く生きたいっていう本能があると思うんだ。
誰の声でもない、言っちゃえば神の声に従ってる部分。

食事したいよね
彼女欲しいよね
おもしろいこと知りたいよね
たのしいこと体験したいよね

できるだけ幸せな人生生きたいよね。


でも、それってさ。
もしかしてさ。

その意志のもと細胞をコントロールしてない?
人間の意志で、自分幸せになるように、細胞を動かしてるよね。
思い通りに行ったり行かなかったりはあるけど
胃を悪くするも骨を悪くするも
行動で結構決めちゃえるよね。


そうすると、細胞の運命って俺ら(人間) に委ねられてるわけで
もし、細胞ひとつひとつに感情とか意志とかあったらどう?
人間と神様の関係と同じじゃない?

細胞たちは、自分よりひとつ上の次元(外の世界)の存在に
の中に包括されている。

で、細胞ひとりひとりは基本的に、自分が幸せになりたいと思っている。
で、それは世界を良くすることにつながってたりする。
ここでいう世界が人間ね。
だから細胞は基本的に体の歯車になってくれるし、
たいていは正常に働いてくれる。
でも、イレギュラーになったり、普段通りと違うことをしたり、
これが人間界でいう、はぐれ者とか一匹狼とか、大衆に馴染めないとかだと思う。
大半が世界の歯車になってるけど、逆回転をしたがる少数派がいるという構図。
これが人間の体内にもあると思う。


だとしたらおもしろいじゃん。
宇宙の中に人間がいて
人間の中には別の宇宙が広がってる。

俺たち(人間)同士が、いかに自分の中の宇宙をよくできるかを競っている。


集中力が切れたからこの辺でやめますが
この話まだ膨らませられる気がする。

神様の話

俺の世界論。

まず、銀河にひとり神様がいると思うのね。
俺たちのことをずっと見てる。
それで、銀河以外にも、金河とか銅河とかいろいろあって、それぞれに神様がひとりずついるのです。

で、なんでこの世界があるかというと、
まず、神様たちの間で誰がいちばん面白い世界をつくれるか勝負しようって話が出ます。

で、それを受けて、銀河の神様は、ビッグバンによる空間と時間の広がりで世界をつくりました。
他の神様がどうやって作ったのかはわかりません。
時間と空間に生きている我々には理解できない概念かもしれないし、
ビッグバンに似たものかもしれないけど
とにかく銀河の神様はビッグバンで世界を創造したんです。


で、そこに太陽系が生まれ、地球が生まれ、水ができて、生命が生まれます。
命っておもしろいからさ。
銀河の神様のナイスアイデアなのです。

で、更におもろいやつ。

人間が生まれたんですね。
理性を持ち、感情を持った生命体。
よくわからん命が生まれたのです。


あ、神様っていうのはすべてを創造してますから何でもありです。
小指で弾くくらいの労力で、人ひとりの運命を転がします。 だから努力が報われなかったり、不条理が生まれたり、宝くじが当たったりするんです。

あ、ちなみにこの神様たちは人間に近いものという仮定のもと話をすすめています。

神様はむちゃくちゃな運命を与えたりはしません。
なぜなら、秩序や体系は、世界をおもしろくするからです。
サッカーはルールがあるからおもしろい。
それと同じです。
しょっちゅう無秩序や体系のないカオスなことをやっても、ちっとも面白くありません。

僕らは神様の創造した銀河系の中の要素の一つでしかありません。
イメージはチェスの駒と一緒です。

これが僕の世界観です。
中学のときに考えました。

なぜ、こう考えるのか。

答えは簡単。

希望を持って生きるためです。

努力が報われなかったり
不平等な不幸がおそったりする世の中。

だけど、努力はだいたい報われるし
がんばればいつかはいいことがある。

俺が生きてても意味ないとか
死んだって大したことない
とか言わせない。

物理的に、万物は同じ時間に同じ空間を過ごせない。
ゆえに、同じ存在なんて有り得ない。

どんな人生でも必ず意味がある。
神様が何らか意図して世界を面白くするために選んだ1駒なんだ。

だから生きてけばいいと思う。
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